2008年10月25日 花の街ふかや映画祭
『ぐるりのこと。』
橋口亮輔監督 トークショー

橋:橋口亮輔監督

橋:ようこそおいでくださいました。監督の橋口です。よろしくお願いします。


Q:今回の制作のきっかけは?

橋:昨日も考えてたんですけど…およそ僕のパーソナリティーとは、法廷とか、裁判所とか犯罪とか、そういうものだとかを撮るとは自分でも思っていなかったですけれど…これを撮るまでに7年くらいかかっていますので最初から、何がきっかけで、法廷画家を撮ろうと思ったか、自分でももうほとんど忘れているんですけれど…多分テレビのバラエティーか何かで法廷画家が出てるのがちょっと記憶にあって。
これは映画的なカンとしかいいようがなくて、あぁ、法廷画家面白そうだな、と思ったのと、法廷画家じゃ映画になんないなと思ったのというのが、2つあって同時に。

で、画家さんてこう、ずっと描いているので、動かないので、映画的じゃないなとずっと思っていたんですね。
それで、でもま、とりあえず取材をしてみないとわからないなと思って、ある法廷画家さんに取材をして…まさか自分にスポットライトが当たるなんてその方も思っていなくって、「何で、この映画監督さんは自分に話を聞いてくれるんだろう?」というような感じだったのですが、こっちとしては、ドラマを作りたいので。
たとえば、オウムの麻原の公判に行って、それで影響を受けて、家庭に帰って、「今日ね、こういうことがあったんだよ」とかって自分の人生に影響を与えていく、というそれがドラマになっていくので。
そういうことないですかね?っていろんな事を画家さんに聞いてみたんですけど…「ないです」。それを、東京と大阪の画家さん10人位に聞いてみたんですけど、皆さん口を揃えて「そういうことはないです」っておっしゃるんです。家に帰って奥さんに話さないんですか?「話さない」。友だちに言わないんですか?「話さない」。じゃ、局のディレクターさんとかに話さないんですか?と聞くと、誰にも法廷で見たことは言わないらしいんですよね。感じたことは言わない。

それって結構たまるんじゃないんですかね、たまりませんか?と聞くと「…結構たまる」と言うのですが、皆さん口を揃えておっしゃるんですけど、絶対言わないらしいんですね。で、リリーさんと話していて、たぶん、その裁判の事を言おうと思ったら、この裁判はどういう裁判でこうなってこうなって…と事情を説明しないと伝わらないので、面倒臭くて言わないんじゃないの?とかってリリーさんも言っていましたけど、それじゃドラマになんないなと最初は思ったんですけど、なんかないですかね?なんかないですかね?って取材していたら…整形して逃亡していた福田和子っていますよね。「いやぁ福田和子はうなじがきれいだったな」とか、レッサーパンダのぬいぐるみを被って池袋で女の子を刺した知的障害の男の子のことを「指がとってもきれいだった、あんな白くて長くて、きれいな指をした男の子が人を殺すんだな…」と思った、とか。音羽幼女の山田みつ子被告、お受験殺人というので有名になりましたけど、あれは映画の方でも片岡礼子がモデルをやってますけど…「あの山田みつ子は髪がきれいだった…“カラスの濡れ場色”というのは、ああいう髪のことをいうんだ」とか、やっぱり画家さんなりの視点なんですね。人のディテールを見るんです。
で、画家さんていうのは、洋画家出身の人と、日本画出身の人といるんですけど、たいていは日本画出身の人で。日本画の人は、人物を描くときに、こう、なんていうかな…洋画家の人は雰囲気でバァーッて描くんですけど、日本画の人は、ちゃんと人間の、素体の人形ありますよね、あれを描くように、骨格をちゃんと取って描いていくんですね。
そうすると、カレー事件の林眞須美被告のことなんかを、「林眞須美の骨格は美しかった」と言うんですね。僕の、林眞須美被告という人を思い浮かべて、美しいという言葉と到底結びつかないんですけど、「あの人の骨は美しかった」とか。

その画家さんなりの視点がとっても面白いなと思って、これだったら映画になるかなと思って、ずっと取材を重ねていったと。
で、僕も鬱になったりとか、いろんな事があったので、そういう自分の思いとか、ちょうど鬱になった時にイラク戦争があったりとか、ライブドアだ、住宅の偽装の問題だ、いろんな事が重なったんですね。その間に、自分がいろんな感じたことが、この映画に反映されていて。
僕自身も、翔子(木村多江さんの役名)みたいな生真面目なところがあるので、そういう想いと、そういう自分がもっと生きやすく、2001年のテロ以降、世界中の人々のテーマだと思うんですけど、どうやって希望をもって生きていけるのかっていうのは、もう日本人だけの問題じゃなくて、世界中の人が思ってると思うんですけど。
僕自身も鬱になって、何度死のうと思ったことか、っていうのを乗り越えてきたので、容易にそことこう重なって、どうやって希望をもって生きていけるのかというのは、僕だけの問題じゃなくて、世界中の人々が思っていることだな、と。

じゃ、どう、こういう翔子みたいな人間が…決して翔子は間違っていないですよね、まじめに生きようと。
(映画の)途中で、会社の後輩の男の子と言い合いになる、あれも実話なんですけどね、実は。
ある雑誌に、松田聖子のムック本を出すというので、僕、松田聖子のファンなので、松田聖子がいかに素晴らしいかというのをもちろん書くわけなんですけど。松田聖子がこう、ぶりっ子をTVでやって浸透させて、ぶりっ子というのを形として作り上げた、スタイルとして作り上げた松田聖子はいかに凄いかというのを書いたんですけど、ぶりっ子という表現は使って欲しくないというのが、松田聖子の事務所からあって。
勿論、僕もプロだから、松田聖子を褒めるための文章を書くんだから「それは困ります」と言われれば訂正するんでるけど、編集者が勝手に300〜400字位の僕の文章を勝手に削って、提出したんですね。それで、僕は怒って、それは違うんじゃないかと、怒った…ていう事件があって。

そこで感じたことがここに出てるんですけど。あそこで展開されることは、決して間違っていない、正しい事を言ってるんだけど、なんか終わってみれば「え?私が悪いの?私が悪いみたいな空気で終わってるじゃん!」みたいな感じって、皆さんお仕事していると、そういうことって多々あると思うんですよね。私、絶対間違ったこと言ってないんだけどな、でも、なんか主張してしまった私の方が悪いみたいな感じになってるなって。
それがとっても嫌な感じ、今の時代に漂っている、それが僕の経験からなんですけど。それを、その中から何とかして、そんな中で希望を見出していけないかな〜というようなことを考えていく中で、カナオ(リリー・フランキーさんの役名)というキャラクターが出て来て。
カナオのモデルというか、カナオのキャラクターを僕の中で作って。
果たしてこういう人間は実際にいるのかなぁ、モデル誰だろうと。ふと思い当たったのが、イラクで亡くなられた橋本さんというジャーナリストの方がいらっしゃる、メガネをかけた、白髪頭のおじさんなんですけど。ご記憶があるかと思うんですけど、橋本さんがイラクで亡くなられた時に、凛としたショートカットの本当に美人の奥様が出てこられて、記者会見をなさったのですね。イラクで盲目になった少年を日本に連れてきて、治療をするお手伝いをしたりとか。
あの奥様をテレビで見たとき、その当時のテレビに出てくる政治家やコメンテーター、みんな口を揃えて、人質になった3人の日本人の青年達のことを、けしからんだの、税金泥棒だの、なんだかんだもう、みんな口を揃えてバッシングしてたんですよね。

その中にあって、あの奥様が出てこられた時、あぁまともな日本人がやっと居た、という、本当に救われる思いがしたんですけど、その旦那さんが橋本さんで。
「朝まで生テレビ」という、僕今でも覚えているんですけど、橋本さんが出てこられた時に、皆、口を揃えて、人質になった人たちをバッシングしている時に、橋本さんだけが、へらへら笑って「まぁいいじゃない、彼らも辛い思いをしたんだからさ、まぁいいじゃない」と笑ってたんですよ。それを見た時、なんだこの人と思って。この人本当にジャーナリストなのかなと思ってたんですが…亡くなられて、奥さんが出てこられた時、あのへらへらしたおじさんの奥さんなのかぁ、いい女だなぁ、なんでこんないい女があのおじさんの奥さんなんだろう、と思うほど、あ、そうだ、橋本さんっていい男なんだ、と思ったんですよね。

 で、あとで話を聞くと、橋本さんというのは、イラクに行かれて、イラクというのは、外国人に対しての警戒が物凄い厳しいわけですよね、でもその、人々となんか知らないけどふうっと仲良くなって、そのイラクの人の家に居候させてもらって、2、3ヶ月泊めさせてもらって、イラクの人達が日々何を感じてい生きているのか、というのを、日常の目線で一緒に感じて、それを記事に書いていたという人なんですよね。
すると、僕もカナオというキャラクターを書くときに、人としてなんか言葉にはちょっとうまく出来ないんですけど、人としてなんか いいもの を持っている人、というのを思ってたんですけど。
その橋本さんも、多分その警戒心の強いイラクの人と、ふと、繋がってしまうような、人間として何か“良いもの”があったんだなぁと。表向きは、へらへら笑うような、何だこの人ジャーナリストかよと思うような人が、本当は人としてなんかすごくこう強い何かを持っている、ていうね。あぁ橋本さんかな、モデルは、とちょっと思って。
こういうのを役者さんにやってもらうって、難しいだろうなぁと思う中で、いざやっと映画の制作が開始される中で、じゃ、誰だろうと思ったときに、以前からちょっと知っていた、あぁリリー(フランキー)さんかなと思って。でもリリーさん素人だよなぁと思って。これで失敗したら俺ももう終わりだなぁと思いつつ、でももうリリーさんしかいないなぁという気持ちが膨らんで、2ヶ月間位悩みましたかね。

でも、プロデューサーにも「もうリリーさんだと思ってるんでしょ?」て言われて「はい」って言って、「じゃしょうがないじゃない、もう話してみるしかしょうがないじゃない」と言われて。話したらリリーさんも3ヶ月返事をよこさなかったですけどね。本人は、山に篭ってたとか、役作りしてたとか言ってるんですけど、本人も3ヶ月悩んで、やっと返事をくれて「僕カナオです、やらせて下さい」って返事をくれて。
それで、やっと決まった、カナオだ。もうこれでリリーさんがお芝居できなくても、僕はもう、リリーさんと心中するしかないなぁという…そこで腹が決まって。
じゃ、女優さん、誰だろうっていったときに、また、30代の女優さんって今本当にいなくて。決まった名前しかやっぱりあがらない中で、木村多江さんの名前があがって。で、リリーさんにも、木村さんどうかな?といったら、「あぁ僕も前から木村さんだと思ってた」というし。
僕の今までの映画だと、ちょっと強い女性のイメージ、女優さんのイメージが、僕の中に残っていたので、強そうな、例えば、小泉今日子だとか、なんだとかという、ちょっとこう、強い感じの女優さんをずっとイメージしてたんだけど、あぁ木村さんかぁと思い描いたら、もうリリーさんと木村さん以外は考えられないという風に、僕の中でもう固まってしまって。
それで木村さんにもお願いしたら「翔子は私です」と木村さんもおっしゃってくださったので。
そこからは、7年間本当に進まなかった映画制作が「2人に決めた」っていった瞬間に面白い様に進み出してですね、あぁこの映画は、もう、この2人に巡りあう為にこの7年間があったんだな、というふうに思えるくらいの感じだったんですね。

 で、リハーサルを一応この映画でもやったんですけど、リリーさんと木村さんメインで。でもうリハーサル始まった瞬間に、あ、リリーさんもう全然大丈夫だ…今まで素人だなんだって思ってたけど、全然大丈夫だという思いに変わって。
また撮影に入ったら撮影に入ったで、あぁもうリリーさん素晴らしい、木村さん素晴らしいと、何も心配することもなく…僕もリリーさんに、ほとんど細かい指示は現場でもしなかったと思うんですけどね、木村多江さんは、順撮りで、ずっと気持ちが落ち込んでいって、また良くなっていくという難しいキャラクターなので…木村さんは順撮りでスケジュール組んだんですね。
リリーさんは若い頃から、木村さんにあわせて撮って…それでまた記者との絡みとか、なんとかをまた撮って。で、法廷は法廷でセットなので、一週間セット撮影でまた撮って。そうするとセット撮影だけでも、カナオの若い頃から歳取るまであるわけですよね…だからリリーさんだけは、時間を何回も何回も何回も何回も、往復するんですね。
で、リリーさんの方は、そういうものを、ここは何年のカナオ、ここは何年のカナオ、というのをやって行くが大変だろうなぁということがあったんだけど、僕は「ここはね、カナオは若いからこういうふうに思ってて」とか、なんかそんな事一言も言った覚えがなくて…それはもうびっくりしますよね。何もそういうこと言っていないのに、現場に(リリーさんが)いるともう、何年のカナオ、というかな、時間がちゃんと経過しているカナオがいるんですよね。
リリーさんに関しては、本当にもう役者として天性のモノがあるな、と僕は思いましたね。
八嶋さんとの絡みで、虐待児童描いてよ、えー、ってう廊下の場面がありましたけど、廊下のこちら側から撮っている時に、テストやっていたら、なんか、むこうの雰囲気がおかしいんですよね、二人のね。
で、リリーさんと八嶋さんって物凄く仲がいいんですけど、仲がいいのになんか感じが変なので、バァーっと走っていって、リリーさんの顔をふっと見たら、本当に怒ってるんですよね。で、怒ってる?って聞いたら、「…はい」って言っているんですけど。

八嶋さんが何か言ってるとかじゃなくって、その10歳の虐待児童が27キロになっている、それを描いてよ、という人の無神経さを許せないんですよね、リリーさんは。だからもう、人として許せない、ということが素直に感情になっているというか、出しているわけですよね。役作りでそう思ってますとか、そういうことじゃなくてね、そういうふうにもう居てしまうんですね、あの人はね。
だからラストシーンのあの「人、人、人…」という廊下のところで撮ってる時も、「リリーさん準備できました、リリーさん入りまーす」っていって、廊下の向こう側からカメラ据えて、ロングで撮ってると、リリーさんがふっと現れたら、カナオの時間が10年経ってたんですよね。僕、それを見た途端にもう涙が溢れてしまって。
あぁカナオの時間が経っていると思って。僕、そういう事は、一言も言っていないんです、ここラストシーンで時間経ってるから、こういうふうにちょっと老けてとか、気持ちも作ってとか、一言も言ってないんですけど。なんかそうあってしまう、というのは役者として天性のモノがあるなぁと感じて。
木村さんも、人生を投げ出すように撮影に望んでくれて。僕には見せませんでしたけど、台風の場面なんか撮ってると、もう立てないんですよ彼女はね。
で「お疲れ様でした〜」ていって、お借りしているマンションのロケセットを一歩出るともう、マネージャーさんに抱えられないと立てない位の状態なんだけど、中に入って撮影やってて、わーっと泣いてしまう場面なので、結構やっぱ集中力、パワーがいるので「軽くでいいよ」って言っても、本気でやるんですよね、テストからね。
だからタフだなぁと思っていたら、実はそれ位消耗していて…でも人前では見せない、それ位撮影に身を投げ出すように来てくれてて。やぁほんとにもう、二人だけではないですけど。

一人ひとりの役者さん、例えば加瀬亮君ね、裁判の場面に出てましたけど、ほんとに非凡な人だなぁと。加瀬君に、「宮崎勤の物真似はやんないでね」という事は言ってたんですけど。あんなふうにまさか被告を演じるとは思っていなかったし、その瞬間に、広いセットなんですね、日本映画史上最大の法廷のセットなんです、あれは。その法廷に、スタッフを含めて、130人位いるんですけど、空気がピっと変わりましたもんね、加瀬君がお芝居始めた瞬間に。
あぁ、なんていうんでしょうね、映画を撮る喜びっていうかね、楽しみとういかね、こういうお芝居を間近で見られるっていう、この緊張感を味わえる、こういうことが仕事の楽しみなんだなとかね。
あと、最後に、暴言を吐かれて泣いてしまう遺族のお母さんというのがありましたけど、遺族のお母さん役の隣に居たのは、本当のご主人なんですね。ご夫婦で、小劇場中心にお芝居やってらっしゃるんですけど。
あの撮影のつい3ヶ月程前に実際に赤ちゃんが生まれて、それで子供を殺された役を引き受けてくださって。それはキツかったと思うんですけど、それをあれ、丸一日撮影しているんですけど、カットを変えながら、同じことを何回も何回もやるんですけど、毎回あのテンションで、わーっていう、毎回あのテンションで一日やり通すというね、それをやっぱりやり遂げた時に、わぁー本当にプロだなと、プロってこういうことだなと…きつかったと思うんですよ。
赤ちゃんね、かわいい赤ちゃんの写真をもらいましたけど、いる中で、子供が死んでしまった母親の役というのは。

 あと倍賞さんの日本を代表する大女優なんですけど、全然そんなところはなく、ほんとに太陽のような人ですね。
なんかおべっかで言うんじゃなくて、なんていうんだろうな、ここにいると、ぱーっと明るくなるような、ここが。そういう人ですよね。なかなか、美人もハンサムも、いろんな俳優さんに会いますけど、この人素敵だなぁっていう人、滅多にいないんですよね。だけど倍賞さんに会ったときに、なんって素敵な人なんだろう、と思いましたね。
あと、いろんな役者さんが出てらっしゃるんですけど…ま、柄本さんはいい加減なオヤジね。セリフ全然覚えて来ないんです…おまえなぁと思いましたけどね(笑)でもま、なんていうんでしょうね、いろんな役者さんの、リリーさん、木村さん中心に、本当に真摯に自分のやれる事を精一杯やってくださって。あぁ、こういう人達とお仕事できて良かったなぁと、幸せな現場になりましたね。
おかげさまで6月の公開以来、12月20日まで東京でロングラン決まっていますので。今ほとんど4週5週で、あの、なんか映画の公開のサイクルが早くなっているみたいで、僕も7年ぶりの映画だったので、映画業界がそうなっているとは知らなかったんですが、その中で半年間ロングランする映画というのは珍しいので、おかげさまでいろんな方に観て頂けたら嬉しいなぁというところです。


司:ではお客様からの質問にお答え頂けたら…

Q:監督の作品を、「二十歳の微熱」から観ているんですけど、あの頃淀川さんが監督の作品を褒めていらっしゃったんですけれど、淀川さんとの思い出は?
橋:淀川先生とは一回しかお会いしていないんですよ。めったくそケナされましたけどね。「アンタ駄目よ、こんな映画撮ってちゃ駄目よ」って。でもね、愛があるんですよね、あの人もう映画に人生捧げた人ですよね。だから、そういう人に何言われても腹立たないんですよ。中途半端な人じゃないからね。当時、あんまり人のこと言ってもあれですけど、「『櫻の園』あれダメね、『バタアシ金魚』全然ダメ、でもあなたの『二十歳の微熱』は見込みがある、見込みがあるから、私は対談している」と言ってくれたんです。「でもこういうところがダメ…アンタ歌舞伎見てる?」「見ていない」「だからダメなの…ヴィスコンティ観なさい、歌舞伎見なさい」って散々言われて、「アンタは映画を、映画だって一回選んだんだから、最後まで映画でやりなさい。盗みを働いてもいい、水を飲んでもいい、アンタはやれるから。」って言ってくださったんですよ。それを僕ね、「あぁもういいや映画は」とかって思う時があるわけですよね。そういうときに、それが文字になって残っているので、見るんですよ。そうするとね、涙が出てきますよ。「盗みをはたらいてもいい、水を飲んでもいいから、アンタは映画って決めたんだから、映画を最後までやんなさい。アンタはやれる。」って文字で。見るたびに涙が出てきて。そうか、僕はやれるんだ、やろう!と思えるんで、『ぐるりのこと』を撮ったときも淀川先生なんて言うかなぁこれ観て…っていう。そう思える方がどんどんまわりで亡くなっていくので、寂しいですけど。そういうことは常に考えていますね。


Q:次回作の構想は?

橋:なるべく早く、7年も経たない様に、撮りたいなというのと、今46なので、40代のうちに、もういっぺん位、50になって、この、『ぐるりのこと』みたいなのを撮っていたら、死んでしまうなと思ったので、ほんとに。それ位の作品だったので。この映画の最後の撮影の時なんか立てなかったので。あぁこういうことやっていたら、死んでしまうなと思ったので。結局死ななかったんですけど(笑)あぁ人間結構もつなと思いましたけど。
だからなるべく早い40代の段階で、そうですね、どんなモノになるのか、純粋なコメディを撮ってみたい気もしますし、ちょっとわかりませんけど。子供のための作品も撮ってみたいという気持ちもありますし。なるべく早く撮りたいと思います。本日はどうもありがとうございます。




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